葛飾探訪風土記(6月号)

flower_syoubu.png   かつしかの花菖蒲を愛でる  flower_ayame.png



 堀切の菖蒲園は、歌川広重の『名所江戸百景』に「堀切の花菖蒲」として描かれるなど、多くの絵師によって花菖蒲を題材とした様々な作品が残されています。堀切で花菖蒲の栽培がおこなわれるようになったのは、19世紀初頭のことといわれ、大正の頃まで堀切から四つ木にかけていくつもの菖蒲園が開園します。なかでも小高園や武蔵園が老舗格として知られていました。
 明治になっても堀切の菖蒲園は、東京の花菖蒲の花の名所として多くの人に親しまれました。大町桂月の『東京遊行記』明治39年(1906)や田山花袋の『東京の近郊』大正5年(1916)などの紀行文にも、菖蒲園や周辺の情景が紹介されています。
 堀切の菖蒲園は、日本人だけでなく訪日中の外国人も足を運んでいます。『東京遊行記』が刊行される前の明治20年代には、イギリスの詩人エドウィン・アーノルドや、アメリカの紀行作家エライザ・シッドモアが堀切菖蒲園に訪れています。



歌川広重『絵本江戸土産』「堀切の里花菖蒲」.jpg


 アーノルドは、白・青紫・赤紫と色とりどりに咲き乱れる花菖蒲に目を奪われ、シッドモアは花だけでなく、池・建物・見物客にいたるまでが、一つの風景として完成している様に驚き、そのすばらしさを著書に記しています。
 外国人を魅了した葛飾の花菖蒲は、海を渡り欧米にも輸出されるようになります。明治43年(1910)に、ロンドン日英博覧会で名誉賞、大正4年(1915)には、サンフランシスコ・パナマ太平洋博覧会で金賞を受賞し、葛飾の花菖蒲は「HORIKIRI JAPAN」として世界にその名を刻みました。
 
                                                               

  

                                                  

歌川広重『絵本江戸土産』「堀切の里花菖蒲」(国立公文書館所蔵)



手彩絵葉書『東都堀切の菖蒲園』.jpg
 花を競っていた菖蒲園も昭和になると次々に閉演に追いやられます。昭和17年(1942)に堀切園と小高園も戦時中の食糧難に対応するため水田化され、一旦、葛飾の菖蒲園は姿を消すことになります。
 戦後、堀切園が「堀切菖蒲園」として再開し、その後、東京都が買収して昭和35年(1960)に都立公園となり、昭和50(1975)に葛飾区へ移管され、区立「堀切菖蒲園」が誕生します。
 堀切の菖蒲園は、現在、区が管理する「堀切菖蒲園」のみとなってしまいましたが、水元公園にも菖蒲園が整備され、葛飾区は東京東部の花菖蒲の花の名所として、花菖蒲を愛でに多くの人が訪れます。花菖蒲は、今の季節に彩りを添える、華やかで美しい花として区の花にも選ばれています。花菖蒲を愛でながら散策するのも、葛飾区ならではの楽しみの一つです。        
                                絵葉書「東都堀切の花菖蒲(武蔵園)」(個人所蔵)                                                                          
                                    


         

 ※今年の菖蒲まつりは、コロナ禍のために中止となりましたが、堀切や水元の菖蒲園は入園することができます。開花や開花状況については、本サイトの「お知らせ」をご確認ください。

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